基調講演(要約) 第12回 ヤングリーブス全国代表者会議

私は横田めぐみの双子の弟の一人(兄)です。また、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の3代目代表を務めています。日ごろからUAゼンセンの皆さまから多大なるご支援をいただいていることに深く感謝申し上げます。
めぐみは、1977年11月15日、13歳のときに新潟市立寄居中学校の部活帰りに北朝鮮の工作員によって拉致されました。

めぐみは、本当に明るくて元気で頼りがいのある姉でした。勉強、部活、読書などなんでも興味を持って取り組んでいました。私と弟の哲也が食卓で喧嘩をしていると、めぐみが必ず中に入ってきて、当時は私のほうが体が大きかったこともあって「拓也、止めなさい」と言われて、私が必ず悪者になりました。どこにでもある、仲の良い家族でした。
当日、めぐみが学校から帰ってこないということで、母と私と弟の3人で探しに行ったのが、この拉致事件の始まりです。新潟県警による大規模な捜索が行われましたが、全く手がかりがありませんでした。本当につらい毎日でした。
ある日、私と父が犬の散歩に一緒に出かけたときに、私が「姉の靴とか服とか、なにか手がかりがあるかもしれないと辺りを見ながら散歩している」と父に話したところ、父も「自分も同じように見ていたんだ」と言っていました。また、母もテレビや新聞などでめぐみに似た少女が出ていれば、すぐにテレビ局や新聞社に連絡するなど、めぐみを探し続けていました。
そんななか、両親は私達兄弟の前で取り乱すことは一切ありませんでした。ただ一度だけ、父が風呂場で頭にお湯を掛けながら息を殺して泣いていたところに出くわしたことがありました。また、数年前に母が講演で「双子の子供達が登校した後に畳を搔きむしって泣いていた」と話をしていたのを舞台袖で聞いたことがありました。いかに親の本当の姿を見ていないかということを実感しました。

拉致された横田めぐみさん

「時間だけがただ虚しく過ぎている」

人権感覚の欠如が問題解決を阻害

当時の日本の世論、マスコミは北朝鮮に対して腫れ物に触るかのようにしていました。もし、拉致された直後に政治や警察、報道機関、とりわけ報道機関がもっと強く切り込んでくれていたら、こんなに長きにわたって重荷を背負わされることはなかったと思います。1988年3月に梶山静六国家公安委員長が国会で「北朝鮮による拉致の疑いが濃厚である」と発言した際も、報道機関は後追いすることはほとんどなく、私が知る限りでは、産経新聞が小さな記事で掲載した以外はどの社も黙殺しました。また、日本政府の拉致問題対策本部が立ち上がったのは2006年9月です。これだけ時間が経っていたら、物理的に探したくても探すことができません。こうした人権感覚の欠如が、この問題を深く後ろに追いやってしまったのが現実です。

1997年3月に私達は拉致被害者救出を目的に「家族会」を設立しました。当時の世論の認識、とりわけマスコミの報道ぶりは私達家族会の主張と真逆でした。「拉致疑惑」という扱いでしか問題が捉えられておらず、私達が奇異な目で見られていました。
当時、両親・親世代は大きな画板に署名用紙を置き、皆さんに関心を持ってもらいたいとの思いで街頭や駅前に立ちました。時には、通りすがりの女性から画板をたたき落とされたこともありました。北朝鮮の工作員の一味だったかもしれませんが、そうしたことを受けながらも訴え続けてきました。
一方、私が署名活動をしていたときに、小さな女の子がお小遣いの100円玉を持って「募金させてください」と言って募金箱に入れてくれました。その温かい心がとてもうれしくて頭を下げた思い出があります。
また、街中で「めぐみさんの弟さんですね。応援しています」と、言葉をかけていただいています。皆さんの温かい気持ちにふれることができているからこそ、私達は頑張ることができています。
おかげさまで署名活動も1700万筆余を日本政府に届けることができました。日本政府だけでなく、北朝鮮に対しても日本の世論が拉致問題を忘れていないことを示すことができています。
また、父は「おそらく日本全国行っていない市はない」と言っていたほど母と一緒に全国を駆け回って訴え続けていました。これだけが原因ではないでしょうが、晩年父は体を壊し2年間闘病生活を送りました。そして、めぐみと再会を果たすことはできませんでした。

1997年1月、国会でめぐみが北朝鮮に拉致されたのではないかという話がようやく出始めました。その際に「横田めぐみ」という実名公開の可否について家族で喧々諤々のやりとりをしました。母と私と弟は、「実名を出してはいけない。実名を出した途端にめぐみは抹殺されてしてしまう」と声を揃えて言いました。一方、父は「再び無駄な時間を過ごす気か。抽象的ではだれの関心も生まない」と実名をあげることを主張しました。
最終的に父の判断を優先し実名を出すことにしました。この父の英断が、皆さんに「拉致問題を絶対に解決しなければならない」と決意していただくきっかけとなりました。

「一刻も早く日朝首脳会談の開催を」

めぐみの存在を消したい北朝鮮

その後、2002年9月に平壌で開かれた、金正日委員長と小泉純一郎総理による日朝首脳会談で事態が一変しました。金正日委員長が公式の場で初めて拉致を認めました。しかし、彼らが回答してきた内容は「4人生存、8人死亡、1人未入境」というもので、めぐみは死亡した8人のなかに入っていました。これを聞いたときには心が動転し本当に苦しい思いをしました。彼らは、めぐみが1993年に自殺したと言ってきましたが、後に帰国した拉致被害者5人から、“少なくとも1994年まではめぐみと一緒にいた”という情報を内々に得ていましたので、これが嘘だと分かっていました。
めぐみは、いわば拉致問題のシンボルであり、めぐみという存在をなんとしても消して、日本国内の世論の認識を消し去りたいのが北朝鮮の戦略です。
その後、彼らはめぐみの遺骨と称するものを日本政府をつうじて提示してきました。私達はすぐに突き返しました。そして、DNA鑑定の結果は、やはり別人の骨でした。横田家、日本の世論を鎮静化させるために、ここまでやるのがテロ支援国家北朝鮮なのです。
2002年10月に5人の被害者本人が帰国することができましたが、それ以降だれ一人まだ取り戻すことができていません。そして、そんななかで被害者の親世代が何人も他界しています。また、警察庁が拉致の疑いが濃厚であるとした人達を含め実に870人余の人達が私達の救いの手を待っています。

国際社会で事態が大きく変わったのは、米国のトランプ大統領が2017年9月に国連総会で「私は13歳の少女が拉致されたことを知っている」と発言したことです。国際社会が北朝鮮の残酷さを目の当たりにしました。また、2018年の米朝首脳会談でトランプ大統領は金正恩委員長に「拉致問題を解決せよ」と数回詰め寄りました。しかし、北朝鮮が核施設を全面的に公開しなかったために、会談は決裂し、以降進展していません。
私達家族会は、北朝鮮が人権問題を解決すれば、日本から経済支援など明るい未来が描けるということを何度も言っています。また、「めぐみが帰ってきたときに、北朝鮮で見聞きしたことを公に暴露することはない」と毎回口にしていますが、いまなお彼らは決断できずにいます。

被害者一括帰国と帰国期限を明示

今後、日朝首脳同士が歩み寄り、なんとしても会談を開くしかありません。そして、その際に忘れてならないことは「全拉致被害者の一括帰国」です。私達は部分的とか段階的な交渉は認めません。また、北朝鮮がよく使う手段として「調査委員会などを両国に設置すれば新しい手がかりが得られるかもしれない」などと言って日本から経済支援を引き出そうとしてきます。決して騙されてはなりません。なぜならば、北朝鮮国内では国民、とりわけ拉致した人間は24時間厳重な監視下に置かれています。そのため、「分からないから調査委員会をつくろう」ということはあり得ません。
さらに、もう一つ大事なことは「タイムリミットを設ける」ということです。現在、親世代で残っているのは、私の母の早紀江(87歳)と有本恵子さんのお父さんの明弘さん(94歳)の二人だけです。私達は「二人が亡くなった後に拉致被害者を返したとしても、日本はよろこばない。日朝国交正常化交渉はあり得ない」と金正恩委員長に突き付けています。

岸田総理には、絶対に甘い誘いに乗らずに全拉致被害者一括帰国のためにきっちりと交渉していただきたいです。そして、政府が北朝鮮の甘い誘惑や時間稼ぎに乗らないように国民一人ひとりが注視していくことが大事です。
加えて、いまの中・高校生は拉致問題をリアルタイムでは知りません。教える若い先生も実感がありません。そのため、私は教職員向けや中・高校生向けの講演会に積極的に出かけ、若い方達に「拉致問題についてみずから調べ、考えてほしい。明るい未来は皆さんがつくっていくんだ」と伝えています。子供達にこのような機会をつくることは大人の責任です。これが拉致問題を風化させないことにつながります。

私達の気合いは武器よりも強い

実に多くの無実の日本国民、私達の同胞が拉致され、被害者の明るい将来、家族との絆が引き裂かれています。私の父は、めぐみに六本木がこんなに最先端な街になったことを見せてあげたいと願っていました。母の夢は、草原に二人で寝転がって青い空と白い雲を眺めながら何気ない時間を過ごしたいというものです。こんな当たり前のことができていないのです。
“拉致問題を絶対に忘れない。解決するまで北朝鮮に迫っていく”という私達の気合いは武器よりも強く、国際社会を巻き込む力を秘めていると思います。そして、拉致被害者5人が羽田空港に降りてきた、あのときの光景を再現するために、私達はこれからも声を上げ続けていきます。引き続きのご支援、ご協力をお願い申し上げます。(終)

横田拓也氏

拉致被害者「横田めぐみ」さんの弟(双子の兄)。2021年12月に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)の3代目代表に就任。現在、食品メーカーに勤務する傍ら、家族会代表として精力的に活動している。