5月29日、UAゼンセンは中央教育センター「友愛の丘」創立50周年の節目を迎え、記念式典を開催。式典のなかでは、逢見直人UAゼンセン顧問(元会長・現富士社会教育センター理事長)が「『友愛会』を源流とする労働組合学校の足跡から『友愛の丘』を考える」と題した記念講演を行いました。私達の貴重な財産であり、日本の労働運動における「教育の殿堂」に注目を!。
「友愛会」を源流とする 教育活動の足跡をたどる[講演要旨]

「友愛会」設立以来 教育はつねに重要視
私達の推進する民主的な労働運動の源流には、1912(大正元)年8月に設立された「友愛会」があります。
これは実に、いまから114年も昔の話になります。今回の講演では「友愛会」を出発点に、各時代の労働運動のなかで設置・運営されてきた労働組合学校の足跡をたどりながら、「友愛の丘」の意義について考えたいと思います。
友愛会の創設者の一人である鈴木文治は、友愛会設立に先立ち、1912年1月から「通俗講話会」を毎月15日に開催しました。「通俗」という言葉が付いていますが、これは「労働講話会」とすると、官憲から「危険思想を広める」と勘違いされる可能性があり、気軽な雰囲気を出す必要があったためです。また、実際に講演会では、琵琶や浪花節、幻燈(写真や絵のスライドでの上映)などを盛り込む工夫をしていました。
当時、会場となった東京都港区芝の「惟一館」付近には、工場が多く建てられており、仕事帰りの労働者が夕方から学びを深める場となりました。
後に、友愛会が設立されると、「労働者に対する教育が重要」という認識のもと、教育活動に力が注がれていきます。その結果、1920年には友愛会東京連合会が「東京労働講習所」を開講。毎週金曜日の夜、2科目ずつ3時間の講義を行いました。しかし、特別高等警察による制限や左派組合との対立から、2回のみの開催に留まりました。
「労働講習所」の失敗を受け、1921年に労働学校の経営主体となる「労働者教育協会」(鈴木文治理事長)が設立され、同年9月、友愛会本部に「日本労働学校」が開校しました。日雇い労働者の日当が2円、米は10キロで3円4銭という時代に、1カ月60銭、年6円という高い受講料にも関わらず、学生達は熱心に勉学していたようです。
働く者に教育を行き渡らせるために
「労働者に対する教育が重要」という考えは、東京だけに限定されたものではありません。1922年には、西尾末廣や賀川豊彦らが尽力し、大阪市の安治川教会を借り、「大阪労働学校」が開校しました。
しかし、第二次世界大戦が始まると、教育活動は停滞を余儀なくされます。
1945年8月に終戦を迎えると、教育活動が再始動します。戦後、産業別労働組合の結成やナショナルセンターの対立と並行し、1951年3月には全繊同盟(当時)の松岡駒吉会長らが「日本労働者教育協会」を設立。ふたたび「日本労働学校」を開校しました。
その後、協会は一時活動を休止することになりますが、1956年に再建。新たに「日本労働学院」を開校します。この学院での学習には、産業別組織の職員や加盟組合のリーダー候補が参加しました。そのなかで、これまでの教育活動を振り返り、講師の話を聞くという一方向の講義を改め、討論を中心とした双方向型の講座が生まれました。また、1週間程度の合宿形式も採用され、新たな教育方法が定着していきました。

いまなお息づく 教育活動の原点
1967年になると、民社党第2代委員長の西村栄一の構想により、「富士社会教育センター」が設立。後に、日本労働者教育協会と統合を果たし、教育活動はさらに発展していきます。
このころ、現在の「友愛の丘」での教育につながる2つの原点が生まれます。1つは、「単なる講義ではなく全員が主役になる研修」として考えられた「行動学習」。これには、友愛の丘でおなじみの「かけ合いコール」も含まれます。2つ目は基本姿勢としての「三訓五戒」です。

一方、ゼンセン同盟(当時)は、教育施設建設へ向けて、1973年から組合員1人1カ月10円の積立を開始。翌年には、積立金額を月30円に増額するなど、1人ひとりの組合員の協力があり、1976年に中央教育センター「友愛の丘」が完成します。「友愛会」を源流とした労働組合学校の軌跡は、ついに自由にして民主的労働運動におけるリーダー養成の殿堂として結実したのです。
そして、50年の時が流れましたが、いまなお友愛の丘は日本の労働界における最大の教育施設として機能しています。

仲間の心の痛みが分かるリーダーを
ここからは、歴代の総主事・センター長をはじめ、友愛の丘に携わった諸先輩の言葉や行動を紹介し、あらためて友愛の丘に込められた思いを考えていきたいと思います。
初代の矢田彰総主事は、中国の古い諺「井戸の水を飲むとき、その井戸を掘った人を忘れない」を引用し、友愛の丘の未来を見据え、こんな言葉を残しています。「友愛の丘は開校の日から植樹運動とそのためのカンパを呼びかけている。やがては四季さまざまな花とうっそうと茂るヒノキ、スギの木立に囲まれた友愛の丘になる日が来る」。
また、第4代の大星輝明センター長は、「労働組合の命は『団結や連帯の心』である。この意識を高めるのは教育活動のほかにない」と強調しています。
そして、宇佐美忠信ゼンセン同盟会長(当時)が記した「設立の譜」です。宇佐美会長の掲げた「自由と民主主義を血肉とし、人の心の痛みの分かる人間を育てる」という原点は、いまなお、友愛の丘で大切にされています。

最後に、私達は日本の労働運動の本流の歴史を引き継ぐ正統な組織です。そして、「組織は人なり」。人材育成はその基盤にほかなりません。
友愛の丘は、これからも民主的な労働運動をけん引するリーダーの育成へ向けて、充実を続けていくことでしょう。
【トップ写真】出席者を前に講演を行う逢見直人顧問。日本の労働運動の原流をたどりながら、友愛の丘の意義と未来について語った
