あじろ なつこ。1977(昭和52)年8月生まれ。福島県二本松市出身。高校卒業後、日東紡績の関連会社に入社。半年後、日東紡績に転籍となり、以来、複合材事業本部の品質保証部品質保証課に勤務。勤続27年。先輩から受け継いだ検査技術を磨き、明るい性格と笑顔で仲間達をリードする。労働組合では2021年から福島支部の執行委員を務め、支部定期総会の議案を提案したり、職場の仲間の声に耳を傾けたりしている。UAゼンセン福島県支部では男女共同参画委員や運営評議員を務める。スポーツ万能で、幼少期から地元の山で楽しんだスキーは上級者レベル
ガラス繊維の水分量が規格に合っているか検査する網代奈津子さん
日東紡績は1923年に繊維メーカーとして創立。「なんでも繊維にしてみよう」のチャレンジ精神で発展を遂げてきた。右は網代さんが勤務する福島第一工場

働く仲間達との接点を増やし職場に寄り添う労働組合に

支えてくれた仲間達に感謝し 支える側になろうと執行委員に

昨年行われた第73回「私の主張」全国大会の取材で、弁士の1人として出場した網代奈津子さんを知った。感動的な弁論を展開する途中でセリフを忘れるアクシデントがありながら、終了後に駆け付けた仲間達に「失敗しちゃいました~」と笑顔で振る舞っていた姿が印象的だった。今回初めて網代さんと対面し、そのときのことを尋ねると「内心はすごく落ち込んでいて、時をもとに戻したいと思っていました」と心境を語ってくれた。

明るく元気な網代さんは品質保証課のムードメーカー。つねに笑顔で職場を照らしている

日東紡績は1923年に創立し、1938年に世界で初めて、溶かしたガラスの糸=グラスファイバーの工業化に成功したガラス繊維の国内トップメーカー。同社製品はスマートフォンの外装、浴槽の強化材、家電製品の部品など、私達の生活に広く生かされている。

網代さんが勤める福島工場はグラスファイバー事業の拠点で、13ミクロンという極細の繊維を数百から数千本束ねて糸にしている。品質保証課で働く網代さんは、そんな繊細さを要する製造の各工程において、集束剤の付着度合い、水分量、仕上がり強度など、厳格な基準で製品を検査している。

「規格外の製品を見過ごせば、その後の工程や出荷先、消費者に影響を及ぼします」と語る網代さん。日々、高い集中力を保ちながら27年間、検査ひと筋に勤めてきた。

組合事務所は工場の敷地内にある。ガラス炉の管理を担う右端が本多功支部長

日東紡績労働組合は結成78年。雇用を守り、労働条件を維持・向上してきた。4つある工場支部のうち福島支部は、福島第一・第二工場で働く470名が所属し総組合員の過半数を占める。8割が男性で執行委員の多くも男性。そんななか福島支部では女性リーダーを求めていた。業務で品質保証課に出入りする本多功副支部長(当時)は、皆を和ませながら職場をまとめている網代さんの存在に目を留めたという。「この人なら女性リーダーを任せられると思いました」と振り返る。

女性部のボランティア活動の様子。定期的に工場前のバス停を清掃し第二工場そばの荒川沿いで地域のクリーンアップにも参加する(右)

一方、網代さんは数年来、悩んできた娘の不登校を職場の仲間達に支えられながら乗り越え、ようやく元気を取り戻したところだった。そこへ組合から執行委員への誘いがあった。「組合のことが分かっていないのに…と不安はありました。それでも、今度は私が仲間達を支え恩返ししたいと思いました」。執行委員となった網代さんは持ち前の行動力を発揮し、積極的に組合員と接点を持ち、悩みや職場の問題を聞いていった。「網代さんのおかげで、組合員との距離が近く相談しやすい『組合』になりました」と本多支部長は微笑む。

教宣女性部長会議で行った国会見学では田村まみ組織内参議院議員(前列中央左)と交流し、各支部の女性部長と共に政治活動の必要性を学んだ

仲間のために全力で取り組み 自分の成長にもつなげていく

人前でのスピーチの壁を乗り越え 「私の主張」全国大会に出場

「職場のみんなが仕事をカバーしてくれ、『いってらっしゃい』と快く組合に送り出してくれるんです。おかげで安心して活動に集中できます」と感謝する。女性部長を務める網代さんのもとには女性ならではの声が届く。なかでもトイレや更衣室についての意見が多く上がり、労使協議会で取り上げるなど改善に取り組んだ。会社は理解を示し、トイレが新しくなり更衣室のロッカーやじゅうたんが新調されたそうだ。「仲間から〝ありがとう〟と言われてうれしかったです。やりがいを実感しました」と目を輝かせる。

活動の場は関連団体にも広がっていく。忘れられないのが、岡山のUAゼンセン中央教育センター「友愛の丘」で行われた研修会に参加したときのこと。全国の仲間達との学びや交流で充実した時間を過ごすものの、〝人前でのスピーチ〟が壁になったという。「伝えたい思いはあるのに、緊張して言葉が出てこないんです」。壁を乗り越えられずへこんでいた。そこへ、吉原しのぶセンター長が訓示で「やれる、できる、大丈夫!」と参加者達を激励したそうだ。網代さんは「その言葉に涙がジワッと出ました」と語る。

昨年7月に行われた第73回「私の主張」の様子。弁論順がトップバッターで緊張し思うように話せなかったが、晴れやかに敢闘賞の賞状を受け取った

2023年2月の執行委員会で本多支部長が「私の主張」の出場者を募ると、網代さんは真っ先に手を上げた。弁士に決まると職場の仲間達の協力を得て娘の不登校を克服したことや、執行委員になり挑戦を続けていること、また、人は何歳になっても成長できると感じていることなど、経験や思いを綴り弁論の練習に励んだ。大会まで毎日欠かさず練習したと話す特訓が生き、5月の福島県支部大会で優勝。進出した北海道・東北ブロック大会でも優勝し、7月の全国大会への出場を果たした。「そこまで行けるとは想像もしていませんでした」と網代さんは振り返る。

これまで3年間の執行委員の経験をふまえ「幅広い体験や交流が自分の財産になっています」と語る網代さん。最後に、「若い女性達にもぜひ執行委員を経験してほしいです」と後輩達へメッセージを送った。

昨年6月にレクリエーション「竹灯籠づくり体験」を開催。網代さんが中心となり女性部で企画・運営し、参加者約20名が灯篭づくりを満喫した