元日に発生した能登半島地震は、地域の方々の生活とふるさとの風景を一変させました。被災された皆さまに、心からお見舞いを申し上げます。

UAゼンセンの加盟組合でも、石川県を中心に甚大な被害がありました。組合員のご家族で4名の方がお亡くなりになり、多くの住宅や事業所が被害を受けました。発生からまもなく5カ月、150日が経過しようとしています。このほど、石川県内の3つの組合を訪ね、お話を聴くことができました。そこには懸命に生活と仕事の再建をはかり、一日も早い復興を願う仲間達の姿がありました。これからも、息の長い応援・支援を続けていきましょう。

令和6年能登半島地震
ことし1月1日16時10分に、石川県・能登半島の地下16 kmで発生。マグニチュードは7.6。観測された最大震度は、石川県輪島市と同県羽咋(はくい)郡志賀町(しかまち)で震度7を記録した。死者260名。住宅被災約8万件。
中央がどんたく労働組合の薮下心委員長、右は石渡利和書記長、左は3組合に案内してくれたUAゼンセン石川県支部の秋葉宏支部長

被害の大きかった七尾市で営業する、どんたくアスティ店を訪ねた。同店は地面がひび割れるなどの被害を受けながらも復旧に努め、1月4日に営業を再開、地域住民のライフラインを支えてきた。一方で、自宅や帰省先などが被災し、いまだに生活に影響を受けている仲間も少なくないという。震災後の困難をいかに乗り越え、いまはどのような状況なのか、働く仲間や組合役員の方々に伺った。

元日に襲った突然の激震 1週間後、全員の無事を確認

震災当日は全店の休業日。薮下心委員長は能登町の自宅を離れ休日を過ごしていた。そんななかでの突然の激震。即座に思い浮かんだのは「みんな無事だろうか」ということだった。交通が寸断され帰宅もかなわないなか、会社と連携し仲間達の安否確認に努めた。電波が不通の地域もあり難航したが、1週間ほどで全員の無事を確認でき、胸をなでおろしたという。

駐車場の地面の損壊場所を示す薮下委員長。被災した地域にはこうした爪痕が随所に残る

日ごろは本部で働く端竜司さんは穴水町にある実家にいたところを大きな揺れに襲われた。とっさに覆いかぶさるようにして2人の子供を守った。地域一帯が断水、停電、電波不通となった。端さんは高齢者の多い集落の住民に集会所への避難を呼びかけ、皆の食料などを確保し夜を明かした。翌日には力を合わせ安全な地域に避難したという。

穴水店は地震で天井や壁が損壊。修復を請け負う業者が不足し、再開は夏以降になるという


つねに地域貢献を念頭に置くどんたくは、お客さまの安全を最優先にしながら店舗ごとに安全環境を整備し、順次営業を再開、能登住民の期待に応えた。薮下委員長が勤務する能登町の宇出津店は営業再開までの間、店内にある食料品を避難所に無償で提供し被災者を支えた。

組合と会社が協力し仲間達の悩みに対応

「能登地域にはコミュニティーの絆があり、皆助け合っています」。薮下委員長は震災後でも自己中心的にならない能登の人々をたたえる。一方、能登の細長い地形は救援の往来を遅らせた。復旧に携わる業者の数も不足し、現在も断水や排水制限などの地域があり、能登全域の復旧はまだまだという。現実に、アスティ店のトイレはいまだに修復中。天井や壁が壊れた穴水店は休業が続いている。

そんななか、組合は震災による不安を抱える組合員の相談に応え、職場の確保や休業中の手当などについて会社と交渉した。会社は店舗の異動や、休業組合員への手当支給に応じた。そのほか、労使で協力し低金利での融資を実施した。そうした対応が組合員の安心につながった。

「ひとりではない」仲間達を支え続けていく

組合員のなかには、つらい被災体験を他人事のように語り、感情の噴出を抑えている人がいるという。薮下委員長は「後で反動が起き、虚無感や脱力感に襲われるのでは」と心配する。石渡利和書記長によればメンタル不全の兆候が表れている人が出始めたそうで、「今後一年間は心のケアに留意していきます」と仲間を思いやる。また、やむを得ない事情で職場を離れた仲間もいた。

薮下委員長と石渡書記長は困難ななかで「一人ではなにもできないことを実感した」と語り、「UAゼンセンの仲間達からの支援には心から感謝しています」と口を揃える。「被災見舞金を渡すと、涙を流す人がいます。お金以上に支えてくれる仲間とのつながりがうれしいと言います」。震災後、事務所に設置している『UAゼンセン新聞』を手に取る仲間が増えたそうだ。

いま組合では「ひとりではない」ことを実感してもらうために交流イベントの実施なども検討しているそうだ。薮下委員長は最後に「皆で結束し難局を乗り越えていきます」と力を込めた。