【47都道府県支部発】ローカルユニオンの心意気
9月に開催した定期大会時点で、UAゼンセンの仲間は、約2200組合・194万名になりました。多くの組合は、それぞれの地域(ローカル)で、労働運動の原点“だれのため、なんのため”にこだわり、少しでも活動を進めようと懸命に取り組んでいます。このシリーズでは、UAゼンセン運動のスピリット<精神>を大切に受け継ぐローカルユニオンのリーダーを紹介しています。
今号は、UAゼンセン香川県支部の運営評議会議長を務め、「香川を日本一の支部へ」をモットーに歩みを進めるリーダーです。
【トップ写真】熱い思いを持って組合活動をリードする本田敏也委員長(本社前で)

プロフィール ほんだ としや。1980(昭和55)年9月、徳島県徳島市生まれ。45歳。徳島大学の電機電子工学科で学び、2003年4月、卒業と同時にアオイ電子入社。以来、製造部門ひと筋で工程管理業務を担当。勤続23年。アオイ電子の組合活動は、北四国労働組合の支部としてスタート。高松支部と観音寺支部を設置し活動する一方で、一労働組合として活動を展開。2004年に執行委員に就任。翌年には、高松支部長、北四国労組の執行委員を務める。2013年、委員長に就任すると同時に北四国労組副委員長に。2023年、北四国労組から独立し、正式にアオイ電子労働組合として活動をスタートし、引き続き委員長を務める。UAゼンセン香川県支部では、会計監査、運営評議会評議員、副議長を経て、2024年に議長に就任。教育委員会やまちづくり委員会の長も務め、県支部活動をリードする。高松市在住。


仲間がより働きやすい職場を目ざし
労働環境の改善に力を尽くすリーダー
電子機器の“要”の製造現場で 日本のものづくりを支える
“うどん県”として人気を博す香川県。近年は、瀬戸内の島々を舞台に3年に一度開催される「瀬戸内国際芸術祭」も大好評で、会期中は一層多くの観光客で賑わうそうだ。中心地の高松市は瀬戸内海に面し、市街を吹く風は潮の香りを運んでくる。JR高松駅から車で15分、アオイ電子の本社に到着すると、本田敏也委員長がにこやかに出迎えてくれた。入り口に建つ石碑に案内し、「社是の“前進”という文字が刻まれていますが、私も“なせば成る”をモットーに前進を心がけています」と語る。


アオイ電子は創業56年の電子部品メーカー。本社に併設する高松工場をはじめ、国内に8拠点を擁し、主に半導体の集積回路を保護するパッケージの開発・加工を行っている。照明器具やディスプレイなどに利用されるLEDのパッケージを中心に、ファクスやレシートなどの画像出力に用いられる機能部品、紙幣の識別センサー、医療研究や異物除去に使用されるナノピンセットなどの開発・製造も手がけ、社会生活の発展に寄与している。また、設備も自分達で造設し、さまざまな製品づくりに対応しているという。事前にパワーポイントで資料をつくり、事業内容をていねいに説明してくれた本田委員長。準備万端で迎えてくれた心遣いに感激するとともに、精密さを要する仕事への姿勢もうかがえた。

本田委員長は入社以来、製造部門ひと筋に歩んできた。生産、品質、設備などのあらゆる工程を管理する工程管理業務を担当し、進捗状況をチェックしながら作業スタッフに指示を出す。「いわば現場監督です」と微笑む。また、10名のメンバーと共に新製品の立ち上げにも携わっている。


半導体の製造は、頭脳となる集積回路を形成する前工程と、形成したチップをパッケージングして製品化する後工程に分かれるそうだ。現在、後工程から撤退する企業が後を絶たず、「このままでは日本のものづくりが守られない」と本田委員長は懸念する。「国は前工程の企業に投資していますが、後工程の企業の支援・育成にも力を入れ、前・後で製造を完結させ、国内に利益をもたらすことが大事」と熱意を込める。
「香川を日本一にしよう」を合言葉に
県支部活動の前進に情熱を燃やす

労働条件の改善に精力的に取り組み 仲間が長く働きたいと思える職場へ
アオイ電子の組合活動は、アオイ電子と加ト吉(現テーブルマーク)の創業者が友人だったことから、加ト吉の仲間でつくる北四国労働組合の支部としてスタートした。高松支部と観音寺支部を設けて活動していたが、アオイ電子として一組合という思いがあり、執行委員会を設置し、委員長を置いて活動してきた。本田委員長は入社2年目のときに執行委員に就任した。「くじで当たったから『やらなしゃーない』と思って引き受けました」。もちろん組合活動は全く分からない状態だった。そんななか翌年には、当時の委員長から説得され、高松支部の支部長も兼務することになった。しかし、執行委員会に出席してもだれもなにも言わないお通夜のような状態で、「たとえ意見を言ってもなにも変わらず、自分達で労働環境を変えようという意識もなかった」と率直に語る。

転機が訪れたのは2013年。本田委員長になると同時に北四国労組の副委員長に就任し、UAゼンセン香川県支部の会計監査を務めることになった。「県支部の活動に参加して他労組の活動を知り、自分達がダメなことに気づかされました」と話す。また部長に、「組合なんて会社の言いなりやろ」と言われ悔しい思いもした。本田委員長は、執行委員会を活発に意見が出し合える場に変え、出た意見を皆で検討し、会社に提案、交渉する流れをつくった。「強力なリーダーシップで私達を引っ張り、労働環境を次々と改善していきました」と廣瀬悠司書記長は語る。相談窓口を設置し、仲間の声に応え、有休を時間単位で取得できるようにした。年間休日も114日から123日に改善。さらに組合員の範囲を主任から係長までに拡大した。「組合が変わったら会社も変わる。その姿を執行部に見せたかった」と本田委員長は力を込める。2023年には北四国労組から独立し、正式にアオイ電子労働組合として歩み始めた。

翌年には、香川県支部運営評議会の議長に就任。長年議長を務めた大森崇吏四国化成労組組合長の意志を継ぎ、「香川を日本一の支部にしよう」を合言葉に、政治活動や教育活動などを精力的に展開。“よく学び、よく遊ぶ”の精神で、多くの仲間が県支部活動に参画する体制づくりにも力を注いでいる。「組合のトップは必ず信念を持っています。大森組合長に背中を押してもらったように、仲間の委員長が迷っているときに後押しできる存在でありたい」と語る。また「組合活動は“想い”が大事。仲間が定年まで働きたいと思える職場に変えていきたい」と意欲を燃やす。魂のこもった活動で本田委員長の前進は続く。




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